2011年5月9日月曜日

祖父から聞いた征露丸の話

幼少時は祖父母に育てられた。
祖父は台湾人で台湾の日本時代に日本の中学を出たことを誇りに持つ。

祖父の育ちは台湾ウーロン茶産地の鹿谷、家はお茶の商売。
学校を出た後中学で学んだ商業を生かし、家業のお茶ビジネスから林業に替え、
山林を買い日本人が植えた杉を伐採し町へ運ぶという材木の商売。

祖父母の日常は日本語で会話していた、子供の自分たちは何を話しているかまったく分からない。
時折日本の出来事を話してくれる。その時とても良い時代を懐かしむように話してくれるのだ。

その中に正露丸の話がある。


時は日露戦争、日本は押し攻めてくる大国ロシアに戦いを挑んだが、最初のうち兵士が戦地で水が合わず、脚気などの病気で多くの兵力が減った。日清戦争以来外国の地で戦った経験から、風土病を予防できる薬を開発していた。ロシアを征服する意気をこめこの予防薬を「征露丸」と名づけ、日露戦争に赴く将兵に大量に配付した。

この日露戦争は世界の誰しも日本が勝つなど思ってもいなかったし、軍資金もなかった。それで高橋是清が
戦争国債を米系ユダヤ人に買ってもらったのでようやく戦いの用意が出来た。いざ戦争に勝つと日本中この「征露丸」の名が轟き、植民地の台湾まで大いに沸いた。

戦後「征露丸」の「征」から同じ発音の「正」の字に換え、今日まで至った。
だから、正露丸は進撃のラッパのマークが元祖である。
弱肉強食の当時は日本が戦わなかったら、アジアを白人国家が統治することになっていたに違いない。


時が重ね自分が日本へ移住することが決まると、祖父が「Aki、日本へ行ったら、正露丸の話を知らない人が居たら思い出して教えてあげるんだよ」と言付けた。

数年前アメリカである若いアフガニスタン人と雑談。
彼の祖父がこう言った。「お金を稼げるようになったら一生一度日本へ行け、自分の目で日本という国をしっかり見てくるんだ。」
なぜかと聞くと、アフガニスタンは古くからロシアにいじめられアジアの国の人たちは皆同じ辛い思いだった。その大国ロシアに勇敢に挑んだのはアジアの日本人!しかもロシアを負かせ、鬱憤を晴らせてくれたすごい国なのだ!

あ!自分の祖父もこのことを言っていたんだ。正露丸の話はすごい話だったんだ!





征露丸宣伝隊の広告ビラ

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